2018年04月23日(月)

延寿通信 第177号 2018年5月 [延寿通信]

蒸気浴から浴槽へ

---公衆浴場の始まり


 銭湯は奮闘していますが、このところ廃業する銭湯が目立ち、大阪府では、最近10年間に、営業している銭湯は半分近くになってしまったと報告しています。銭湯の最盛期は昭和30年代から40年代といわれていますので、今から50年前にさかのぼり、昔の話になりつつあります。
 住宅事情がよくなって、風呂付の住宅が増加したこと、またマンションなども規模が小さくても風呂付がほとんどです。これらが銭湯不振の理由なのですが、しかし、広い浴槽で伸び伸びという人もあって、自分の家に風呂があっても、わざわざ銭湯へ出かける人がいるなど、銭湯ファンは少なくはありません。
 銭湯もいろいろ工夫して客を集めています。「延寿湯温泉」を入れた薬湯だけでなく、以前に紹介したように、さまざまな企画で客を集める工夫をしています。生薬を入浴剤として使っているところもあります。銭湯の入り口には、「今日はトウキの湯です」と貼っているのを見かけました。この銭湯は、使用している生薬(薬用植物)の名前を大きく貼り出していますので、いろいろの生薬を使っていることが分かります。現実に、公衆浴場で使う風呂用の生薬を漢方薬局に注文しているところもあるようです。
 以前に、本欄にて公衆浴場の始まりは寺院の施浴に始まると書きました。施浴というと、古いのでは奈良時代までさかのぼります。近くの人が参拝で集まってきて、次いで寺の大浴場に入る、あるいは、入浴の出来ない環境にある人たちを招いて入浴してもらう、このような光景が、やがて公衆浴場への発展へとつながってゆくという説です。もともと入浴ということ、そのものが宗教行事にかかわりがあり、入浴は寺院では僧侶の修行の一つになっているところがあります。
 京都、山科にあった本願寺は1400年半ばから1500年にかけて栄え、現在の東西本願寺に発展してゆくのですが、2012年、この山科本願寺の跡が調査された時に大きな浴場の跡が発掘されています。この風呂跡は石風呂で、釜風呂の一種と推定されています。
 公衆浴場の始まりは、上述の寺院による施湯の場合と、もう一つのケースがあります。それは、各地山野の自然に湧き出た温泉を近くの人が利用し、やがて、これが発展し、建物が出来て、衛生管理に配慮した便利な施設になってゆく場合です。この施設は、客が増えるにつれて増加する維持管理の費用を利用者に負担して貰うようになり、有料の入浴施設へと移行してゆきます。

1.風呂の誕生
 みんなで入浴となれば、始まりは村の温泉でしょう。人は身体を洗うために川や泉などの水、あるいは湧き出ている湯につかるのは自然の成り行きです。
これは人が生きている限り、常にあって暮らしには欠かせない行為になります。  
 本年4月4日の朝日新聞は「ニホンザルもいい湯だな---温泉でストレス解消」という記事を掲載し、長野県・地獄谷野猿公苑のニホンザルの生態を研究している京都大学霊長類研究所の調査結果を紹介しています。温泉に入浴した週は、入浴しない週よりも、ストレスホルモンの濃度が低く、ストレスの軽減されていることが分かったといいます。山野の動物たちが温泉を利用していたという話はあまたあり、湯に浸かるのは身体を休め、心を休め、明日のエネルギーを生む温床でした。
 しかし、自然に恵まれた暖かい湯の出る温泉とは別に、わざわざ湯を沸かして、その湯に浸かるとなると起源は単純ではありません。
 風呂の始まりでは、水を運んできて湯を沸かして入浴するというのは、設備が大掛かりになりますので、それ以前に、焚き火後の灼熱した石に水をかけて、蒸気を浴びること、これが入浴の始まりであるという説があります。この場合は、湯桶も湯釜も要らないので、道具も、設備もない昔の暮らしには、確かに始まりにはふさわしいかもしれません。この蒸気浴をした遺跡は、浴場というほどでもなく、囲まれた石組みだけですので、近代の物は別として、歴史的な遺跡は少ないようです。
 各地山野の自然に湧き出た温泉は、次第に営業という形態に変わってゆきますので、野外の温泉場は囲いと屋根のある浴場に変わり、有料にふさわしいサービスのできるような形態になります。
 先に、15世紀の本願寺跡の風呂が石風呂であったということを紹介しましたが、その発掘された跡地の記録を見ると、京都府にある八瀬の釜風呂の共通点が指摘されています。この八瀬の釜風呂は歴史を手繰ってゆくと1300年前の白鳳時代にたどり着きます。釜風呂というのは蒸し風呂です。八瀬の釜風呂はこのように長い歴史があるのですが、今も営業しており、「1300年も息づく日本古来のサウナです」と宣伝もしています。特に、ここでは熱気療法というのを奨めており、釜風呂の大きな釜の中にはいると、数名の寝転ぶ場所があり、10〜20分間静かにしていると、盛んに汗が出て、ころあいを見て別の浴槽に移ります。
 このように特定の場所にこもって、浴槽には入らないで、熱気もしくは水蒸気によって汗を流すのが、浴槽を使う前の風呂の様子です。

2.光明皇后の千人風呂
 公衆浴場の歴史上一つの流れとして、お寺との関係を先に述べました。入浴を宗教行事としてとらえ、この習俗が銭湯につながってゆくという説ですが、風呂に入ることそのものが、仏教上の行事であるとみなすのです。神社仏閣には、かならず手洗い場あり、ここで身を清めてから、本殿に近づきます。これは入浴を簡略化したものであるともいいます。
 お寺で沢山の人が入浴することでは、光明皇后の千人風呂の伝説が残っています。光明皇后は、1300年ほど前ですが、奈良で施薬院を興して、病人に薬草を与えて治療を施し、さらに、この人たちに入浴の機会を与えました。これが、千人風呂といわれているのですが、光明皇后にゆかりのある奈良市の法華寺では風呂の跡を「から風呂」といって大事にされています。この風呂は蒸し風呂で、国の重要有形民俗文化財にも指定されており、今もなお、年に一度、蒸し風呂が用意されて、ファンがつめかけています。
 東大寺にも大きな浴室が残っております。これは、今日の解説では僧侶のための沐浴施設であると書いています。東大寺は1180年に平重衡による南都焼き討ちで焼失しますが、1197年、東大寺再建の際に、この大湯屋は併せて再建されました。この湯屋には鎌倉時代の年号のある大きな鉄の湯舟(口径2.3m,高さ80cm)が残っており、昨年はじめて一般に公開されました。東大寺の大湯屋も湯を炊く大釜は残っているというものの、浴槽に浸かるのではなくサウナのように利用する方式といいます。

3.有料の入浴施設 公衆浴場(銭湯)の始まり
 銭湯の前に町風呂というのが江戸時代以前にあり、これがどうも有料の公衆浴場の始まりではないかと、思われます。町風呂の始まりは1400年ごろといわれており、京都で見られたのですが、やがて江戸においても、これが発展してゆきます。1590年に大阪に風呂屋が出来たという記事が『歴世女装考』という本に出ており、江戸で伊勢の与市が銭湯を始めたのが1591年といいますので、銭湯の始まりは大阪のほうが早かったということになります。この風呂は蒸気浴でした。
 これが湯風呂になるのは17世紀中ごろのことです。江戸の銭湯は、はじめは蒸し風呂ですが、17世紀後半から、次第に湯につかる風呂に移ってゆきます。この頃の風呂は「ざくろ風呂」あるいは「板風呂」とも言われ、浅い浴槽にわずかばかりの湯が入ってはいましたが、本体は蒸し風呂であったようです。
 1814年、『守貞漫稿』に戸棚風呂というのが銭湯にあるということが出てくるのですが、この風呂は「浴槽ははなはだ浅く、湯やや1尺(30cm)ばかり膝をひたすのみなれば、引き違い戸を用いて湯気をもらさない・・」と説明しています。蒸し風呂に浅い浴槽があったということです。
 「ざくろ風呂」というのは、三方を板で囲み、前の部分のみ引き戸で、中に入ると膝までぐらいの浅い浴槽があり、しゃがんで湯に浸かると、ようやく下半身を没することが出来たといいます。この「ざくろ風呂」というのは、江戸の銭湯では元禄の頃、1700年ごろから長く使われ、一部では明治まで残っていました。
 銭湯は蒸し風呂から次第に浴槽方式に変わってゆきます。浴槽に浸かる方式が好まれたのは、一つには温泉に浸かることが浸透していたこと、さらに、家庭では行水がしばしば行われており、湯に浸かる機会が多かったことなどによるといいます。
 公衆浴場は、江戸末期から明治の初めにに日本にやって来た外国人には珍しい施設であったようで、浴場の光景を本国に報告しています。その当時、欧米には、公衆浴場というものが限られていたのでしょう。温泉も日本ほど、あちこちにはなく、温泉利用者は限られていました。欧米には、わが国に多い温泉にかかわる文学はほとんど見られません。外国人が特に珍しかったのは男女混浴の様相で、報道者としては公衆浴場、その風景は興味本位のテーマでもあります。1854年のペリー一行の報告をはじめとして、欧米人の報告記事は多々あります。
 明治になってからも、銭湯はますます繁盛し、都会を中心として全国いたることころに営業が展開されました。近代化とともに衛生的ということが暮らしには欠かせない要件となり、浴場の衛生を求める客の声は高まり、一方では、入浴することによる身体の衛生の必要も重く見られるようになりました。
 公衆浴場での衛生は、明治初めは地域衛生の管轄が警察でもあったので、浴場の取締りでは、衛生管理以外に、裸の人たちの道徳的な問題と、それに火災防止に重点が置かれました。特に、江戸では火災が多く、銭湯の防火対策には細かい規制があったようです。
 銭湯の入浴料金は地方にて定められるので国内一律ではありません。東京都のデータを見ますと、大人(12歳以上)の場合、1948年は6円でしたが、10年後に16円、20年後の1968年は35円、そして今は460円です。大阪府の今の料金は、大人(中学生以上)440円、中人(小学生)150円、小人(幼稚園以下)60円となっています。つい最近、4月1日から兵庫県は公衆浴場の料金を10円あげるという記事が出ていました。料金値上げは知事の指定によるということです。大人の場合、値上げ後の兵庫県の料金は430円です。
 値上げの理由は公衆浴場の経営安定化と利用者の入浴機会の確保です。
 

<参考文献>
・朝日新聞近畿版:2018年4月4日 第1面
・中野栄三:銭湯の歴史、雄山閣(1970年)
・森まゆみ:30年後の谷根千、scripta vol11、no4、紀伊国屋書店、(2017年)
・川端美季:近代日本の公衆浴場運動、法政大学出版局(2016年)

Posted by 管理者 at 08時33分

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