【延寿通信】 2008年09月01日(月)

延寿通信 第61号 2008年9月

貝原益軒の『養生論』 入浴の話を特集

延寿通信 第61号  2008年9月
『養生訓』と入浴

貝原益軒という人は、江戸時代1630年に生まれて、医者になる決心をして医学や本草学を学びました。しかし、医者として実際に患者の診察をすることはほとんどなく、むしろ、日本の各地を旅して自然科学を習得して、本草学の大家になりました。1714年、84歳で亡くなるまでに、学問の分野はますます広まり、自然科学の領域から、今で言えば社会学、教育学にも及んでおります。
たくさんの著書の中で『養生訓』(ようじょうくん)は、健康な暮らしへの助言が古典として、あるいは人生論のテキストとして、今もなお、広く読まれています。『養生訓』は貝原益軒が83歳のとき、1713年に出版されました。高齢にもかかわらず、旺盛な著作活動を続けていたのが、この人の特徴の一つです。
今回は、『養生訓』に述べられている益軒のお風呂の入り方をご紹介しましょう。
『養生訓』には心身の健康な暮らしへのアドバイスがたくさん詰まっておりますが、江戸時代という時代を頭に入れて、それらのアドバイスを受け止める必要があります。まことに、ごもっともな忠告があれば、逆に今の時代、滑稽どころか、逆に健康に好ましくない教えも見受けられます。なお、内容の是非は選別しておりません。
ここでは入浴に関する話題を集めますが、『養生訓』全体からはほんの一部です。今日、『養生訓』はリバイバルで広く読まれ、『養生訓』の解説書、入門書は、いろいろ出ております。ご興味ある方は、貝原益軒『養生訓』に、どうぞ挑戦してみてください。本稿では、岩波文庫の『養生訓』(石川謙校注)、および中央公論社の『日本の名著 貝原益軒』(松田道雄訳)を使います。

1.江戸時代の入浴事情
 はじめに、貝原益軒の時代の入浴というものを、理解しておかねばなりません。江戸時代も元禄年間過ぎて正徳年間(1700年代)ですので、町民はわりに豊かに、その日暮らしを楽しんでいたでしょう。益軒の晩年住んでいた九州博多あたりは、商人の町として結構栄えていたと思われますので、当時には珍しく家庭風呂の普及はあったかもしれません。そのころは商人といえども、通常はよほどの資産家でないと風呂を据え付けることはできませんでした。
風呂は入浴タイプよりも、地方によっては蒸し風呂タイプの多かった地域もあります。しかし、共同浴場となると、江戸の町の銭湯は『養生訓』の時代は、湯を浴びる浴場タイプ、湯屋が優勢でした。
江戸時代は、温泉は繁盛しており、益軒も温泉めぐりは好きで、全国の有名温泉を回っております。68歳のときは夫婦で二度目の有馬温泉を訪れ、しばらく滞在しております。温泉ですと、どっぷり湯につかる今日の銭湯タイプになります。
益軒は入浴の方法の一つとして、たらいによる行水(ぎょうずい)を取り上げております。ささやかながら湯を浴びる方式です。この方式は、大げさな設備がいるわけでなく、容易に道具が揃うので、江戸時代の家庭で普及していたことは想像できます。

2.風呂の入り方
 行水方式というのは、今では、赤ちゃんの入浴でわずかに残っておりますが、通常の家庭では過去の習俗になっています。戦後の1950年代には、行水は都会でも行われておりました。
 益軒の行水の説明では、先ず、たらいの大きさ・材質からはじまります。
 たらいの寸法は、縦が80cm、横が60cm、深さは40cm、板の厚みは1.8cm
底部はもうすこし厚いほうがいい、そして、ふたもあるほうがいい、板の材料は杉を奨めております。寒いときには、たらいの周りと上を囲み、風が通らないようにする、たらいはできるだけ深くします。湯の量は深さで18cmぐらいが適量だそうです。
温度と入り方ですが、ここで益軒は、たらいの一方に釜を据え付けて、水を深く入れて湯を熱くすることを奨めておりますが、しかし、からだを温め過ぎると、気を上らすので、大いに害があるといっています。これはまさに、風呂桶による入浴方式にほかなりませんが、益軒は健康上、深い浴槽に入るよりも、たらいの行水の方がいいといっております。
行水の場合、別の大釜に湯を沸かして、その湯をたらいに入れて、湯を浅くして熱くない湯に入り、早くつかってあがります。からだを温め過ぎないようにすれば、害は無い、と説明しております。出るときに、からだが温まらない場合は、熱い湯を加えて少し熱くして、早めに出てしまえば、からだに害はない、といいます。要するに、寒くない程度に、早めに上がるようにというのが、益軒お奨めの入り方になるようです。
 からだを温めすぎないこと、これを益軒は繰り返し注意しています。そのための方策でしょうか、益軒は、かけ湯という方式を奨めております。これは、たらいに湯を浅めに入れておいて、別に熱い湯を用意し、肩背から少しずつかける方式です。早めに止めると、気の循環はよく、食の消化を助けるといいます。寒いときには、からだが温まって陽気を補助し、汗も出さないので、これを何回も繰り返すのは害が無いということです。
何度も入浴するには、肩背には湯をかけるだけにして、垢を落とさない、下のほうはよく洗って、早く上がります。
 入浴にかかわる一般的な注意としては、次のことをあげています。 
・空腹時には、入浴してはいけない。
・満腹のときは髪を洗ってはいけない。
・熱い湯に入るのは害がある。湯加減は自分でみること。
・気持ちがいいからといって、熱い湯に入ってはいけない。気が上り、気が減るから。
・特に、目の悪い人、からだの凍えた人は熱い湯はいけない。
・入浴後は風に当たってはいけない。風に当たったら、早く手で皮膚をこすること。

3.風呂に入る期間・間隔
 入浴の基本は、あまり何度も入らぬこと、10日に1回ぐらいがいいのではないかと、言っています。何度も入ると、温気が過ぎて、肌の毛穴が開いて汗が外へ出て、気が減るからいけないといいます。
風呂に入いる間隔は、暑い夏場は別として、通常は5日に1回、頭を洗い、10日に
1度、入浴するのが昔からの入り方であり、何度も入るのは気分はいいかもしれないが、気が減るからやめなさいと、述べております。
このように入浴が、月に2、3回というのは、江戸時代の町民では、当たり前のようで、たとえば、江戸末期の小説家 曲亭馬琴は、日記に細かく入浴回数を書いておりますが、銭湯にゆくのは大体、月に2、3回です。
 益軒は、入浴にあたり、「気」を強く意識しておりますが、江戸時代の医療では当然のことです。しかし、とりわけ、『養生訓』で、これが強調されているのは、養生とは身を慎み、生命を大事にすることであり、そのためには外邪である天の気(健康を損なう外部環境)に冒されないようにと述べて、風、寒、暑、湿の気に害されることを特に要注意にしているからです。

4.温泉と湯治
 温泉は各地にあるけれども、すべての病気にいいというものではなく、病気によっては入っていけない温泉もあるので注意しなければならないと、いっております。
湯治に向いているのは外傷の治癒で、打ち身、落馬、高いところからの転落、刀傷、疥癬などの皮膚病、これらには卓効があります。また、中風、筋の引きつり、縮まり、手足の動きにくい病気は湯治には良く、内蔵の病気には温泉治療は不向きといっております。
 湯治では、体力ある病人でも、1日3度以上は浴槽に入ってはいけない。弱い人は1日、1、2度でいい、何度も温泉につかるのは良くない、湯の中でからだを温めすぎるのがいけないのです。浴槽のへりに腰掛けて、湯を柄杓でからだにかける入り方がいいそうです。
湯治の期間は1、2週間がよく、俗に、これを一巡り、二巡りといいます。
温泉の湯は毒があるから、飲んではいけません。さらに、湯治しているときは、熱性の物を食べてはいけない、大酒、大食いも駄目、房事は大変良くない、と注意しています。
 近くに温泉のない人は汲み湯といって、温泉の湯を貰って入る場合がありますが、この湯は温泉の地から湧き出した温熱の気を失っています。近くの清水を汲んで入るほうがいいのではないかと、他人の説を引用して説明しています。江戸の殿様は熱海から温泉の湯を運ばせたがという話があります。

5.薬湯の記述はない
 益軒は、この『養生訓』にて薬湯の五木八草湯を奨めていると、入浴剤業界団体のPR誌に出ておりますが、疑問です。『養生訓』にはこの記事はみつかりません。
江戸時代はじめには、他の書で薬湯の五木湯は出ています。当時の薬湯と言えば生薬の入浴剤ですので、これには今の延寿湯温泉が近いでしょう。しかし、五木湯の場合は、今日の薬湯とは配合生薬が異なります。
益軒は、一流の本草学者ですので、生薬の知識は豊富です。これらの生薬の入浴剤への利用については益軒の大著『大和本草』にて扱われております。五木湯というのは、中国由来ではないかと思います。生薬の選択が、日本独自のものと見られない一面があるからです。参考までに、五木湯に配合されている生薬は、いろいろありますが、一例は柳、桃、エンジュ、梶、桑です。

 <参考文献>
石川謙校注:養生訓・和俗童子訓(岩波文庫)、岩波書店(1961)
松田道雄訳:日本の名著 貝原益軒、中央公論社(1969)
貝原益軒著、白井光太郎校注:復刻版 大和本草、有明書房(1992)     

Posted by 管理者 at 15時46分

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