【延寿通信】 2018年04月23日(月)

延寿通信 第177号 2018年5月

蒸気浴から浴槽へ

---公衆浴場の始まり


 銭湯は奮闘していますが、このところ廃業する銭湯が目立ち、大阪府では、最近10年間に、営業している銭湯は半分近くになってしまったと報告しています。銭湯の最盛期は昭和30年代から40年代といわれていますので、今から50年前にさかのぼり、昔の話になりつつあります。
 住宅事情がよくなって、風呂付の住宅が増加したこと、またマンションなども規模が小さくても風呂付がほとんどです。これらが銭湯不振の理由なのですが、しかし、広い浴槽で伸び伸びという人もあって、自分の家に風呂があっても、わざわざ銭湯へ出かける人がいるなど、銭湯ファンは少なくはありません。
 銭湯もいろいろ工夫して客を集めています。「延寿湯温泉」を入れた薬湯だけでなく、以前に紹介したように、さまざまな企画で客を集める工夫をしています。生薬を入浴剤として使っているところもあります。銭湯の入り口には、「今日はトウキの湯です」と貼っているのを見かけました。この銭湯は、使用している生薬(薬用植物)の名前を大きく貼り出していますので、いろいろの生薬を使っていることが分かります。現実に、公衆浴場で使う風呂用の生薬を漢方薬局に注文しているところもあるようです。
 以前に、本欄にて公衆浴場の始まりは寺院の施浴に始まると書きました。施浴というと、古いのでは奈良時代までさかのぼります。近くの人が参拝で集まってきて、次いで寺の大浴場に入る、あるいは、入浴の出来ない環境にある人たちを招いて入浴してもらう、このような光景が、やがて公衆浴場への発展へとつながってゆくという説です。もともと入浴ということ、そのものが宗教行事にかかわりがあり、入浴は寺院では僧侶の修行の一つになっているところがあります。
 京都、山科にあった本願寺は1400年半ばから1500年にかけて栄え、現在の東西本願寺に発展してゆくのですが、2012年、この山科本願寺の跡が調査された時に大きな浴場の跡が発掘されています。この風呂跡は石風呂で、釜風呂の一種と推定されています。
 公衆浴場の始まりは、上述の寺院による施湯の場合と、もう一つのケースがあります。それは、各地山野の自然に湧き出た温泉を近くの人が利用し、やがて、これが発展し、建物が出来て、衛生管理に配慮した便利な施設になってゆく場合です。この施設は、客が増えるにつれて増加する維持管理の費用を利用者に負担して貰うようになり、有料の入浴施設へと移行してゆきます。

1.風呂の誕生
 みんなで入浴となれば、始まりは村の温泉でしょう。人は身体を洗うために川や泉などの水、あるいは湧き出ている湯につかるのは自然の成り行きです。
これは人が生きている限り、常にあって暮らしには欠かせない行為になります。  
 本年4月4日の朝日新聞は「ニホンザルもいい湯だな---温泉でストレス解消」という記事を掲載し、長野県・地獄谷野猿公苑のニホンザルの生態を研究している京都大学霊長類研究所の調査結果を紹介しています。温泉に入浴した週は、入浴しない週よりも、ストレスホルモンの濃度が低く、ストレスの軽減されていることが分かったといいます。山野の動物たちが温泉を利用していたという話はあまたあり、湯に浸かるのは身体を休め、心を休め、明日のエネルギーを生む温床でした。
 しかし、自然に恵まれた暖かい湯の出る温泉とは別に、わざわざ湯を沸かして、その湯に浸かるとなると起源は単純ではありません。
 風呂の始まりでは、水を運んできて湯を沸かして入浴するというのは、設備が大掛かりになりますので、それ以前に、焚き火後の灼熱した石に水をかけて、蒸気を浴びること、これが入浴の始まりであるという説があります。この場合は、湯桶も湯釜も要らないので、道具も、設備もない昔の暮らしには、確かに始まりにはふさわしいかもしれません。この蒸気浴をした遺跡は、浴場というほどでもなく、囲まれた石組みだけですので、近代の物は別として、歴史的な遺跡は少ないようです。
 各地山野の自然に湧き出た温泉は、次第に営業という形態に変わってゆきますので、野外の温泉場は囲いと屋根のある浴場に変わり、有料にふさわしいサービスのできるような形態になります。
 先に、15世紀の本願寺跡の風呂が石風呂であったということを紹介しましたが、その発掘された跡地の記録を見ると、京都府にある八瀬の釜風呂の共通点が指摘されています。この八瀬の釜風呂は歴史を手繰ってゆくと1300年前の白鳳時代にたどり着きます。釜風呂というのは蒸し風呂です。八瀬の釜風呂はこのように長い歴史があるのですが、今も営業しており、「1300年も息づく日本古来のサウナです」と宣伝もしています。特に、ここでは熱気療法というのを奨めており、釜風呂の大きな釜の中にはいると、数名の寝転ぶ場所があり、10〜20分間静かにしていると、盛んに汗が出て、ころあいを見て別の浴槽に移ります。
 このように特定の場所にこもって、浴槽には入らないで、熱気もしくは水蒸気によって汗を流すのが、浴槽を使う前の風呂の様子です。

2.光明皇后の千人風呂
 公衆浴場の歴史上一つの流れとして、お寺との関係を先に述べました。入浴を宗教行事としてとらえ、この習俗が銭湯につながってゆくという説ですが、風呂に入ることそのものが、仏教上の行事であるとみなすのです。神社仏閣には、かならず手洗い場あり、ここで身を清めてから、本殿に近づきます。これは入浴を簡略化したものであるともいいます。
 お寺で沢山の人が入浴することでは、光明皇后の千人風呂の伝説が残っています。光明皇后は、1300年ほど前ですが、奈良で施薬院を興して、病人に薬草を与えて治療を施し、さらに、この人たちに入浴の機会を与えました。これが、千人風呂といわれているのですが、光明皇后にゆかりのある奈良市の法華寺では風呂の跡を「から風呂」といって大事にされています。この風呂は蒸し風呂で、国の重要有形民俗文化財にも指定されており、今もなお、年に一度、蒸し風呂が用意されて、ファンがつめかけています。
 東大寺にも大きな浴室が残っております。これは、今日の解説では僧侶のための沐浴施設であると書いています。東大寺は1180年に平重衡による南都焼き討ちで焼失しますが、1197年、東大寺再建の際に、この大湯屋は併せて再建されました。この湯屋には鎌倉時代の年号のある大きな鉄の湯舟(口径2.3m,高さ80cm)が残っており、昨年はじめて一般に公開されました。東大寺の大湯屋も湯を炊く大釜は残っているというものの、浴槽に浸かるのではなくサウナのように利用する方式といいます。

3.有料の入浴施設 公衆浴場(銭湯)の始まり
 銭湯の前に町風呂というのが江戸時代以前にあり、これがどうも有料の公衆浴場の始まりではないかと、思われます。町風呂の始まりは1400年ごろといわれており、京都で見られたのですが、やがて江戸においても、これが発展してゆきます。1590年に大阪に風呂屋が出来たという記事が『歴世女装考』という本に出ており、江戸で伊勢の与市が銭湯を始めたのが1591年といいますので、銭湯の始まりは大阪のほうが早かったということになります。この風呂は蒸気浴でした。
 これが湯風呂になるのは17世紀中ごろのことです。江戸の銭湯は、はじめは蒸し風呂ですが、17世紀後半から、次第に湯につかる風呂に移ってゆきます。この頃の風呂は「ざくろ風呂」あるいは「板風呂」とも言われ、浅い浴槽にわずかばかりの湯が入ってはいましたが、本体は蒸し風呂であったようです。
 1814年、『守貞漫稿』に戸棚風呂というのが銭湯にあるということが出てくるのですが、この風呂は「浴槽ははなはだ浅く、湯やや1尺(30cm)ばかり膝をひたすのみなれば、引き違い戸を用いて湯気をもらさない・・」と説明しています。蒸し風呂に浅い浴槽があったということです。
 「ざくろ風呂」というのは、三方を板で囲み、前の部分のみ引き戸で、中に入ると膝までぐらいの浅い浴槽があり、しゃがんで湯に浸かると、ようやく下半身を没することが出来たといいます。この「ざくろ風呂」というのは、江戸の銭湯では元禄の頃、1700年ごろから長く使われ、一部では明治まで残っていました。
 銭湯は蒸し風呂から次第に浴槽方式に変わってゆきます。浴槽に浸かる方式が好まれたのは、一つには温泉に浸かることが浸透していたこと、さらに、家庭では行水がしばしば行われており、湯に浸かる機会が多かったことなどによるといいます。
 公衆浴場は、江戸末期から明治の初めにに日本にやって来た外国人には珍しい施設であったようで、浴場の光景を本国に報告しています。その当時、欧米には、公衆浴場というものが限られていたのでしょう。温泉も日本ほど、あちこちにはなく、温泉利用者は限られていました。欧米には、わが国に多い温泉にかかわる文学はほとんど見られません。外国人が特に珍しかったのは男女混浴の様相で、報道者としては公衆浴場、その風景は興味本位のテーマでもあります。1854年のペリー一行の報告をはじめとして、欧米人の報告記事は多々あります。
 明治になってからも、銭湯はますます繁盛し、都会を中心として全国いたることころに営業が展開されました。近代化とともに衛生的ということが暮らしには欠かせない要件となり、浴場の衛生を求める客の声は高まり、一方では、入浴することによる身体の衛生の必要も重く見られるようになりました。
 公衆浴場での衛生は、明治初めは地域衛生の管轄が警察でもあったので、浴場の取締りでは、衛生管理以外に、裸の人たちの道徳的な問題と、それに火災防止に重点が置かれました。特に、江戸では火災が多く、銭湯の防火対策には細かい規制があったようです。
 銭湯の入浴料金は地方にて定められるので国内一律ではありません。東京都のデータを見ますと、大人(12歳以上)の場合、1948年は6円でしたが、10年後に16円、20年後の1968年は35円、そして今は460円です。大阪府の今の料金は、大人(中学生以上)440円、中人(小学生)150円、小人(幼稚園以下)60円となっています。つい最近、4月1日から兵庫県は公衆浴場の料金を10円あげるという記事が出ていました。料金値上げは知事の指定によるということです。大人の場合、値上げ後の兵庫県の料金は430円です。
 値上げの理由は公衆浴場の経営安定化と利用者の入浴機会の確保です。
 

<参考文献>
・朝日新聞近畿版:2018年4月4日 第1面
・中野栄三:銭湯の歴史、雄山閣(1970年)
・森まゆみ:30年後の谷根千、scripta vol11、no4、紀伊国屋書店、(2017年)
・川端美季:近代日本の公衆浴場運動、法政大学出版局(2016年)

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【延寿通信】 2018年03月23日(金)

延寿通信 第176号 2018年4月

生薬配合入浴剤「延寿湯温泉」のユニークな成分

--松皮の話


 3月12日の日経新聞に「コリリ食感 うま味濃厚」という見出しで北海道の高級魚マツカワが紹介されました。北海道では幻の王鰈(おうちょう=カレイの王様)と言って、マツカワは料理店では大事にされています。カレイの一種で高級魚であるため、普通の魚屋さんやスパーには並んでいません、というのです。魚の名前ですので、通常は漢字は使われませんが、この魚は時には「松皮」と書いているときもあります。名前の由来は、魚マツカワの表面が松の木の皮に似てジョリジョリしているからだそうです。
 生薬入浴剤「延寿湯温泉」の袋の成分欄には「松皮」というのが、炭酸ナトリウムのあと、二番目に出ています。松の皮といえば、この魚のマツカワと名前の通り、松の木のごつごつした樹皮のことでしょう。松皮をネットで調べてみました。すると、松皮とは、薬に程遠いものばかりです。真っ先に出てきたのが冒頭の魚・カレイです。もう一つ、松皮は餅の一種で秋田県の名物とあります。魚といい、餅といい、どうも薬には関係のないものばかりです。
 一体、生薬入浴剤「延寿湯温泉」には、どういう松の木の皮が入っているのでしょうか。松と一言でいってもアカマツ、クロマツ、エゾマツ、ゴヨウマツ・・・日ごろ見かける松はいろいろあります。
 生薬入浴剤「延寿湯温泉」はアトピーにもいいですよとか、肩こり、腰痛にも効果ありというのですから、きっと、素晴らしい松の木の皮なのでしょう。

1.松という樹木、その仲間たち
 門松、注連縄(しめなわ)・・・ 松は正月の門扉を飾るには欠かせない植物で、縁起のいい大変お目出度い木です。松の落ち着いた雰囲気と形、重厚な姿、松葉の素朴な外観と変わらぬ色彩、どっしりした構え、それを支える幹・・・と、松は、まさに日本庭園の王者として君臨しています。神社、仏閣をはじめ、歴史に残る庭園などにも、お馴染みの松は出て来ます。松のない庭は、庭とは言えないと、造園業者のなかにはここまで言う人がいます。 
 松といえば、見るだけの鑑賞用の樹木なのでしょうか。
マツ科というのは、もともと薬には縁遠いグループのようです。『本草綱目』(1596年刊)という中国の医薬用植物の古典には、松は一つも出て来ません。また、『牧野和漢薬草大図鑑』(北隆館)では日本産ではアカマツがあるのみで、あと、バビショウ、ダイオウマツ、イヌカラマツ他2種が収載されているのですが、いずれもこれらは中国の他海外の植物です。この海外品の中にイヌカラマツが掲載されております。マツ科で、この和漢薬の図鑑に薬草、厳密には薬木として掲載されているのは国内外含めて、わずか6品目のみです。
 ここで取り上げているアカマツは樹木そのものではなく、松の分泌物であるロジンが生薬として出て来ます。しかし、アカマツはもちろん、ロジンも公定の医薬品の規格書には収載されていません。
『日本薬草全書』(新日本法規 1995年刊)にはマツ科ではアカマツが1品のみ収載されていますが、やはり松の分泌物であるロジンとテレピン油が対象です。アカマツの枝葉、幹、木質など樹木の構成物そのものを薬として使うことはないようです。
 難波恒雄『原色和漢薬図鑑』(保育社1980年刊)には、松は松香(しょうこう)という名の松脂が出て来ますが、松の木そのものは出ていません。しかし、本書の中、樹木の皮を集めた項目の中に、土槿皮(どきんぴ)というのがあって、ここにイヌカラマツの記事が出て来ます。土槿皮というのはイヌカラマツの樹皮であると説明され、薬用として使われるという説明があります。これが生薬入浴剤「延寿湯温泉」に配合されている松皮の本体です。

2.ロジンとテレビン油
 ロジンとテレビン油というのは松の木の産する成分で、俗に言う松脂であり、粘性あるもの、あるいは固形のものがロジンで、テレビン油は香りの高い液状の油成分です。
 ロジンは松脂の固形物を細かい粉末にしたものを布袋入りにして、野球でグラウンドの投手が指の滑り止めに使うのでお馴染みです。野球の放送では、これをロジンバッグといっていますが、『広辞苑』にも野球選手が使うと説明しています。ロジンは粘着性が強いので、滑り止めにはいいのですが、これのみでは粘着性が強すぎて使えません。野球のロジンバッグの中味は炭酸マグネシウム80%、ロジン15%、石油樹脂5%の混合物になっています。日本では1965年ごろから野球で使われだしました。
 テレビン油は松脂を水蒸気蒸留して造ります。無色の粘性の高い精油ですが、揮発性があり、また空気に触れると固化します。ワニス、ペイントの製造原料、あるいは油絵に使います。医薬品の原料として、あるいは合成龍脳、樟脳の原料にもなります。
 ロジン、テレビン油は、松の木の幹に傷を付けて、生松脂を取り、これを精製することにより得られます。

3.イヌカラマツという木
 土槿皮のところで出てきた薬用植物のイヌカラマツ(犬唐松、犬落葉松)は中国が原産地で、限られた地方にのみ生えており、しかも、標高1000m以上の高地に生えます。日本では自生しませんので、クロマツ、アカマツと違って一般の人には耳慣れない松ということになります。
 日本に生えている本来の落葉高木のカラマツは薬用では使われませんので、上述の図鑑には出ていません。
 生薬入浴剤「延寿湯温泉」で使われている松皮は、イヌカラマツの樹皮であり、中国からの輸入品です。
 イヌカラマツは、日本では化石として出てくる「生きている化石植物」の一つです。この化石植物というのは樹木としての起源が古く、約3400万年前から2300万年前のもので、この頃には日本にも存在したということです。
 イヌカラマツは松の仲間ですが、これは珍しく落葉樹なのです。秋になると葉はあざやかな鮮黄色になり、葉は落ちます。中国では、この黄色になった木は黄金松、あるいは金銭松と呼ばれています。色づいたあと、見事な松かさが出来ます。イヌカラマツの葉は松ですので針状ですが、葉のつき方はアカマツやクロマツとは異なり、葉は根元というか、基部1点に集まり、20数枚の葉が扇を2枚合わせたように円盤状に広がっています。
 松にはカラマツという落葉樹がほかにはありますが、もともと松は常緑樹で、年中深い緑の葉をつけて目を楽しませてくれます。この変わらぬ緑が、松の縁起のいいところで、お目出度には欠かせない木になっています。
 イヌカラマツは、現在、日本では特別に植えられたものしかなく、現在の木は、いずれも中国から到来したものです。研究施設あるいは特定の公園のみで、たとえば、関西地区では、大阪の万博公園の「世界の森」とか、京都の府立植物園、京大植物園に植えられています。万博公園には18本あり、ほかに「もみの池」に10数本生えています。
 なお、植物には名前の冒頭に「犬・イヌ」という言葉がついているものがあります。たとえば、薬草にはイヌザンショウ、イヌショウマ、イヌセンブリ、イヌハッカなどがあるのですが、この「イヌ」の意味は本来の植物とは、@似てはいるが異なるもの、もしくはA劣るもの、ということで使います。

4.イヌカラマツの樹皮は薬になる
 さきほど、松という植物は薬には縁遠い存在であり、松脂とロジンが医薬品の原料になっていると説明いたしました。このロジンは医薬品では貴重な原料であり、広く使われています。ところが、このイヌカラマツは、マツ科の植物には珍しく、動物、人に薬効のあることが証明されており、その効果は医学論文にて発表されております。イヌカラマツの薬効のある部分は樹皮の部分で、幹および根を使います。
 論文の一つは2004年に発表されたもので、イヌカラマツのエキスをアトピー性皮膚炎の治療に使って、いい成績が得られています。中国安徽省産のイヌカラマツの樹皮と根皮を使ってエキスを造り、これを経皮投与しています。皮膚炎抑制や抗菌性、抗真菌性などに効果が出ています。
 『牧野和漢薬草大図鑑』では、イヌカラマツを薬草・薬木として扱い、樹皮には抗真菌、止血作用があって、湿疹、たむし、神経性皮膚炎などに使うと説明しています。有効成分は現時点では不明となっています。本書では薬として使うときは、樹皮を剥ぎ取り日干しにして、これを粉末にして患部に塗布するか、あるいはアルコールエキスを塗ると説明しております。
 中国では、薬用浴剤としてイヌカラマツの樹皮を使う例が古くからあり、薬用の浴剤での使用の実際が紹介されています。効能は、皮膚科の疾患で、痒み止め、患部洗浄、あるいは皮膚炎などに幅広く使われております。
 松皮を主成分とする生薬入浴剤「延寿湯温泉」は、この中国の薬用浴剤の歴史に基づいて、湿疹、あせもなどの皮膚疾患や、肩のこり、腰痛の治療に使われています。

<参考文献>
・難波恒雄:原色和漢薬図鑑、保育社(1980年)
・牧野和漢薬草大図鑑、竃k隆館(2002年)
・木村康一ほか校訂:新注 国訳本草綱目、春陽堂書店(1974年)
・平沢康史ほか:イヌカラマツエキスの抗アレルギー作用ならびにアトピー性
皮膚炎に対する有効性の検討。日薬理誌2004.124: p.271-283.
・自然観察学習館、カワセミだより、No.42.(2009年)
・日経新聞:2018年3月12日夕刊
・中華薬浴:長虹出版公司、中国・北京(2001年)

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【延寿通信】 2018年02月23日(金)

延寿通信第175号 2018年3月

ヨモギの話---春が来ました

よもぎ 
 春の声とともに、タンポポ、ナズナ、スミレ・・野の草花は新芽を出して、明るい花を咲かせ、春に彩りを添えます。
 タンポポとかナズナといえば、道端に生えていますが、都会では、道路はほとんどが舗装されていますので、道端の草花は窮屈そうにしています。都会から離れて一歩、野山に出かけると、これらが春を感じさせてくれます。田んぼのあぜ道にタンポポや、スミレ、時にはゲンノショウコが群がって咲いている光景に出会います。その中でヨモギの群れは花が小さくて目立たないのですが、葉が元気一杯に茂っています。ヨモギは暖かくなると盛んに茂り、ぐんぐん株を大きくします。ヨモギという名前は、このように枝葉が4方に伸びて群落を作ることから、四方(よも)の草という、あるいはよく燃えるということから来たと言う説があります。
 ヨモギは民間薬として、あるいは、ヨモギ餅の材料として欠かせないのですが、もう一つの大事な役目は灸のモグサの原料になっていることです。ヨモギはもともと薬草として中国からやってきたという説がありますが、灸には長い歴史がありますので、薬草よりも灸の材料として日本には先に来たのではないか、という説もあります。
 大阪の薬の神様、道修町の神農祭に使われる虎にもヨモギは関係してきます。古代、中国では毒気を払うのにヨモギを虎の形にして門戸に懸けて、病を除けていました。この虎が、大阪道修町の少彦名神社の神虎であり、張子の虎として笹に付けられようになったというのです。この張子の虎は江戸時代の終わりごろ、コレラ大流行の時に大阪で生まれました。
 薬湯にはヨモギ湯があります。いい香りがあって、身体を暖めてくれます。
 また、食の世界では、何といってもヨモギ餅です。この餅は、このごろは年中あって、食品店では、どこにでも並んでいます。ヨモギの緑の皮に包まれたあんこの餅で、色、風味が大事にされています。
 道端にも、山野にも、どこにでも見られるヨモギですが、ヨモギは身の回りのあちこちで利用されて、私たちの健康な暮らしを豊かにしてくれています。今回は、その中でも、医療にかかわりのあるヨモギを取り上げてみましょう。

1.ヨモギの本体
 植物のあらましの姿を察知するためには、その植物が何科に属するか、ということを知るのが第一です。ヨモギはキク科です。キク科には、いろいろの薬草が並んでいます。キク科は香りゆたかであり、真直ぐな茎と、旺盛な株育ちの姿が特徴ですが、葉が菊のように手のひら状になっているのは限られており、すべてのキク科植物に共通とはいえません。花の形状もキク科は独特です。しかし、ヨモギの花は庭の菊とは大違いで、小粒で、しかも地味ですので鑑賞用にはなりません。
 食用のヨモギを採取するには3月3日の春先がよいとか、あるいは5月5日も、採取の好適時期になっております。薬用には新芽よりも、できるだけ古い葉を採る方がいいようです。採取したら直ちに日に曝し乾燥させます。沢山採るには、5月はじめに、葉のついた茎を刈り取って干して、乾燥後に葉を集めるのが楽です。モグサ用のヨモギは5月の若い芽がいいといわれています。
 中国の古典では「5月5日朝、鶏のなく前に採り、しかも人の形に似たものを集めて貯える、これを灸で使うと、はなはだ効き目がいい。採取した後、門の戸に掛けて置くと毒気を払い、これを灸に使うと効果大である」と説明しています。
 ヨモギという薬草は、古代の中国で大事にされてきましたので、いろいろの言い伝えが残っております。 ヨモギは中国では艾(がい)という字を使います。この艾という字にはいろいろの意味があって、老人、50歳、見目麗しい、尽きる、治まる・・この最後の意味が「病を治める」に通じており、ヨモギの本来の意味であるといいます。
 ヨモギは、わが国では医薬品の原料というよりも、日常の家庭薬であるというのでお馴染みです。これを民間医療といって、家庭では、人々が野山へ出て採取してきた植物をケガ、湿疹などの軽い疾患の治療に使う場合です。ゲンノショウコやイタドリ、オオバコなども民間医療の仲間で、道端あるいは野山の草をとってきて、これを伝え聞いている方法で使います。民間医療では薬草を、それぞれ単独で使うのが特徴で、医師や薬剤師など専門家の登場する医学の世界とは一線を引いております。漢方医療では薬草を単品で使うことは少なく、通常は、複数の薬草を配合して煎じ薬として、あるいは塗り薬として使います。
 医薬品の場合、わが国には日本薬局方という公定の規格書があり、この規格書に収載されると、一人前の医薬品の扱いを受けます。ただし、最新の新薬というのは別です。この公定の規格書、日本薬局方が生まれたのは1880年(明治13年)で、それ以降、改定が続けられて、今は第17版が使われています。ヨモギは、現在の第17版には出ていますが、初めて収載されたのは、つい最近、2012年のことです。ヨモギは民間医療の家庭薬の時代は長いのですが、この時点で、ようやく医療の世界で医薬品の扱いを受けるようになったのです。ただし、従来の民間薬としての、あるいは食品としてのヨモギの扱いには変わりありません。
 

2.ヨモギ風呂
 ヨモギは、中国の古典の医療の処方をみると、2,3の処方例はありますが、あちこちの医療分野で使われていたという薬草ではないのです。しかし、薬湯ではヨモギは古くから使われており、この分野では名前が通っています。これはわが国の場合も同様です。
 風呂にヨモギを浮かべたヨモギ湯(風呂)というのは、ショウブと並んで5月5日、こどもの日では主役を務め、ヨモギを欠かすことは出来ません。ヨモギは菊科に属していますのでキク科独特の香りが漂います。このヨモギのいい香りは精油に含まれるシネオール、樟脳や龍脳などによります。この樟脳や龍脳の上品な香りは風呂には最適ですので高級な入浴剤には使われています。
 ヨモギを風呂で使うときには葉と根を用います。
 ヨモギ風呂の始まりははっきりしませんが、古来、わが国では柚子湯、菖蒲湯、桃の葉湯、ヨモギ湯などが薬湯として伝えられていますので、これらは暮らしとともにあって、いつのまにか、薬湯の定番になって、風呂の歴史とともに今日に至ったのです。
 温泉から離れて、わざわざ湯を沸かして入浴することが普及するのは江戸時代以降で、しかも、それまでは蒸気浴でしたので浴槽は使っていません。浴槽に湯を張る銭湯が都会で出始めるのは江戸時代になってからです。
 生薬の「延寿湯温泉」という入浴剤はすでに60年以上の歴史がありますが、入浴剤がわが国の市場に商品として出始めたのは、明治の中ごろです。始めは生薬が中心でしたが、今日のような化学物質による芳香のある入浴剤が出たのは1928年(昭和3年)です。これは都会の話ですが、入浴剤が市場に出始めるのは、暮らしで入浴を楽しむようになってきたからでもあります。しかし、農家では自宅の風呂でヨモギを入れるのは、明治以前、もっともっと歴史はさかのぼります。
 ヨモギ湯に入るには、乾燥させた葉を布袋に入れて、そのまま湯に浮かべます。もう一つの方法は、採取したままの葉を10枚ぐらい刻んで煮詰め、5~10分ぐらいして取り出し、この汁を湯に入れる方法があります。なんと言っても穏やかなヨモギですから、あまり方法にこだわることなく、生のまま、あるいは乾燥させたもの湯に浮かべればいいのです。
 ヨモギ湯につかると、血流が良くなり、腰痛や肩こり、生理痛を和らげ、新陳代謝を高めます。そのほか、殺菌作用や止血作用がありますので、アトピーが良くなったという例があり、切り傷や擦り傷にもよいといいます。
 ヨモギ湯に入る場合、人によっては肌に刺激になる場合がありますので、事前に確認しておくほうがいいようです。

3.ヨモギの効用
 ヨモギは中国では艾(ガイ)といいますが、『本草綱目』(1600年ごろ)という薬用植物の中国の古典によると、ヨモギはあらゆる病に灸で使う、煎じて飲めば、吐血、下痢、婦人の病にも良いと書いています。この灸ですが、ここで使われるモグサは、ヨモギから作られます。モグサはヨモギの葉の毛を掻きとって集め、これを綿のように形作ったものです。モグサは伊吹山のヨモギが伝統あり、有名です。もともと、この伊吹山というには薬草の宝庫でもあります。 すり傷や切り傷の時には、生の葉の汁を塗ることがあります。ヨモギを民間薬として、煎じてのむ場合には、今日では、健胃、貧血、下痢、腰痛、腹痛、ぜんそくなどに使われているようです。
 風呂のヨモギ湯は、ヨモギの葉を乾燥したものを使い、ヨモギ湯の材料は商品として各社から発売されています。その商品説明を読むと、いろいろのヨモギ風呂の効能が出てきます。2,3ご紹介しましょう。
・身体を暖める。
・ホルモンバランスを整える。
・血液の流れを改善する。
・精神安定、ストレス解消、疲労回復、胃腸の強化、アトピーの改善、ニキビ
 やアセモの改善、貧血の改善。
 ヨモギというのは女性に優しい植物であり、ダイエット、あるいは美肌効果もあると、商品ではお奨めしているようです。この段階では、ヨモギは民間医療の粋を出ていません。

<参考文献>
・難波恒雄:原色和漢薬図鑑、保育社(1980年)
・水野瑞夫、大田順康:くらしの薬草と漢方薬、新日本法規(2014年)
・牧野和漢薬草大図鑑、竃k隆館(2002年)
・木村康一ほか校訂:新注 国訳本草綱目、春陽堂書店(1974年)

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