【延寿通信】 2008年12月27日(土)

延寿通信 第65号 2009年1月

お正月には欠かせない松の話

ー入浴剤にもマツです


延寿通信  第65号  2009年1月

松 

門松、松の内、年の初めは松の木がお目出度のシンボルとして喜ばれます。
縁起のよい樹木の集まり、松竹梅というのは中国伝来だそうですが、とりわけ松は縁起のよい樹木の筆頭にあって、木そのもののみならず、暮らしの中にも、お目出度いときには登場します。
樹木としては、その見栄えの良さもあって、神社仏閣だけでなく、邸宅、公園の中心木として植えられ、各所で大事にされております。
また、古く中国では松葉は仙人の食べる物として大事にされてきました。この伝統は日本にも引き継がれました。長寿の仙人が好んで食べた物となると、松の葉にはおそらく延寿効果があって、クスリとしての効能があるのではないかと想像されます。
入浴剤においても松は、松葉の湯というものがありますが、なんといってもイヌカラマツ(別名:マツカワ)が代表格です。最近ではフランスから海岸松が到来して、健康食品の世界で張り切っております。

1.門松と松竹梅
 正月行事、神事などお目出度いときには、松が真っ先に出てきます。門松は正月を迎えるためには欠かすことが出来ません。つい先ごろまで、正月の庶民の家々の門前には小さな松が飾ってあったものですが、緑保護の立場から、これは、やがて印刷紙に代用されました。今ではこの代用品も消えて民間の家では門松、松飾りはめっきり減り、もっぱら公共の場,商店街に移りました。
 門松を正月に門前に立てるのは、内側は神域で、邪気を払い、汚れを避けることを意味して、神聖な正月の神様を迎えるためであるといいます。これによって、立てた側の家族は一同の多幸、長寿、繁栄を祝います。もともと、松の高木は、天から神が降りてくる、厳粛にいえば降臨される依代(よりしろ=神霊が一時的に宿る)であるといわれております。門松は中国から伝わってきて、わが国では起源が平安時代で昔は正月に限らず、流行病の多い夏などにも立てられていたそうです。
元日から7日まで、正月の期間を松の内といいますが、これは、1月6日か7日に門松が取り除かれますので、それまでの門松の出ている間のことをいいます。松の内の間は、いわゆる正月気分の許される期間で、江戸では銭湯は早仕舞いと決まっていました。ただし、門松を取り除くのが15日である地区では、この時点までを松の内というので、期間は長いようです。
松竹梅はお目出度の象徴です。古くからの伝統を重んじる家では正月の床の間に松竹梅の三幅対の掛け軸を飾ります。室町時代では、元旦が松、二日が竹、三日は梅と、日ごとに変えて飾るのが決まりだったようです。床の間に生け花で松竹梅を飾る場合もあります。
松が筆頭になって、松竹梅を盛り立てているのは、一説には、中国道教由来というのがあります。日本では奈良時代から、松竹梅をお目出度いものとして、絵画や工芸品に盛んに用いられるようになりました。なぜ、松竹梅がお目出度なのかというのは、諸説ありますが、植物のそれぞれの特徴を生かして、松の操、竹の直、梅の香りを重んじて、松は長寿、家運の繁栄、竹の子孫繁栄、梅は君子の徳をあらわすといいます。寒中に緑の操を変えない気高さを示す松、素直で強い竹、凛として寒中に咲く梅、が讃えられます。

2.クスリに登場する松
松は、仙人が好んで食事に用いていたというのです。これが長寿の源泉であり、身軽な行動にも役立っていたようです。しかし、松はおいしそうでもなく、一般人の口には合いません。江戸時代、凶作の年には松の葉、松の樹皮が利用されたこともありました。通常は食料にはならないのですが、薬としては大事な位置にあります。
薬用植物の図鑑(牧野和漢薬草大図鑑に収載)で、薬用のマツ科植物を引いてみると、次のような松が並びます。漢方の世界ですので中国産地のものが出てきます。
・アカマツ(赤松)  日本全土 葉を使う
・バビショウ(馬尾松)中国産 日本にはない 葉以外全体使う
・ダイオウマツ(大王松)もともと北米産であったが、明治末に
渡来  松脂を使う
・フランスカイガンショウ ヨーロッパ海岸 日本にはない、松脂、樹皮
・ユショウ(油松)中国産 日本にはない  全体が使える
・イヌカラマツ(金銭松)中国産 日本にはない  樹皮、根皮
 ここで取り上げたのは、主として漢方処方に基いて使われる医療の場合ですが、松は、何分にも、山野にて目立つ重要樹木でもありましたので、民間医療として、多方面に使われておりました。
 松は民間療法では一般に強壮薬として使われておりますが、これは仙人の食事につなが
ります。中国の古典医書では、できもの、打撲傷、手足のしびれ、中風、高血圧、下血出血、切り傷、淋病、神経痛などが松の効能としてあがっております。
 茯苓(ぶくりょう)は松そのものではなく、主として赤松の根に寄生する サルノコシカケ科の菌ですが、大きいのはバレーボールぐらいになることもあります。茯苓は、中国では古くから貴重な医薬品として用いられてきて、いまもなお漢方医療では多くの処方に出てきます。日本薬局方にも収載され、鎮静、利尿などの効果があり、また、婦人科疾患に良く使われる桂枝茯苓丸の主薬にもなっております。
 江戸時代の医書に、松の葉は胸腹につかえているものをすっきりさせる、便秘にいい、痰や咳のひどいとき、脾胃の弱っている時などに、効能益あること少なからずと書いてあります。今日も、松の葉は健康補助食品として利用されております。
松脂は、これはこれで用途広く、『本草綱目』という中国の古典では皮膚病に使うことを推奨しております。松脂は別名ロジンですが、今日では工業原料として、用途は広く医薬原料であるテレピン油、クレオソートなどが作られております。ロジンは局方にも収載されております。
 松脂の精油(テルペン油)は不飽和脂肪酸が多いので、血中のコレステロールを下げ、胆石の薬として使うこともあったようです。
 薬の対象となる松はわが国で最も馴染みのある赤松と黒松です。ただし、漢方では赤松のみが、取り上げられています。ここで、赤松と黒松について簡単に触れておきます。
赤松と黒松は幹の色が違うので一見したら区別はつくといいますが、しかし、文字通り赤黒の色で幹が赤いから赤松とは簡単にはゆきません。赤松と黒松は性質がかなり異なるので林学、植物学など学問の世界、および植木職など専門家の間でははっきり識別されます。たとえば、通常は、マツタケは赤松にしか生えませんし、ブクリョウは逆に黒松です。大体、山野にあるのが赤松で、海岸地帯にあるのが黒松といいます。生育条件が異なるからですが、赤松は直立して高くなるけれど、黒松は海岸で見られるように横にねるとも言います。赤松は枝、葉が柔らかくしなやかで女性的、黒松は剛直で男性的といいますが、いずれにしても赤松と黒松の区別は両者を並べてみないと判断しにくいものです。
 フランス海岸松の樹皮エキスはフラバンジェノール、ピクノジェノールが成分の混合物として、化粧品、健康茶健康食品に用いられております。適応領域は広く、抗菌効果、糖尿病合併症抑制の効果もあるといわれています。名前はフランス海岸松とはいうものの、フィンランド、ロシア、中国、ニュージーランドなどからも供給されております。
 
3.入浴剤ではこの松、松皮(イヌカラマツ)です
松葉を風呂に入れたり、釜風呂で松の葉をくすべて用いる松葉風呂というのが、歴史的にはあるのですが、現在は余り使われておりません。松葉風呂は『都名所図会』に掲載されていて、奈良時代に、釜風呂にて青松葉をたいて、その蒸気で怪我の治療をすると効果があると書いてあります。松葉の風呂は高血圧にいいといって、風呂に青い松葉を小刻みにして湯に入れると、湯は薄い松葉色になり、香りもいい、湯上りの爽快感は格別であるという記事も見られます。昔、仙人に教わった秘法というのですが、今日の書物には出てきません。また、効能も明らかではありません。
効能といえば、風呂に入れて確かなのが松皮(イヌカラマツ)です。イヌカラマツには、消炎効果、抗菌作用、抗アレルギー作用などが認められております。松皮の松はイヌカラマツという独特の松が使われており、これが配合された入浴剤は唯一、医薬部外品「延寿湯温泉」です。
イヌカラマツは中国原産で、この樹木は日本にはありません。中国名を金銭松といい、中国の高い山にある落葉高木です。カラマツですので、秋にはあざやかな黄金色に染まるので、金銭松とよばれております。日本ではめったに見られませんが、関西では京都府立植物園にて見事なイヌカラマツ(金銭松)を見ることが出来ます。この木は中国からの友好親善の記念樹として植えられておりますので、選ばれた樹木なのでしょう。一見の価値ありです。

<参考文献>
高嶋雄三郎:松、ものと人間の文化史、法政大学出版局、東京(1975)
岡田稔監修:牧野和漢薬草大図鑑、北隆館、東京(2002)
池谷浩:マツの話―防災からみた一つの日本史、五月書房、東京(2006)
有岡利幸:松 日本の心と風景、人文書院、京都(1994)

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【延寿通信】 2008年12月04日(木)

延寿通信 第64号 2008年12月

あなたのお風呂の湯は酸性?アルカリ性?

ー風呂の湯と酸性、アルカリ性

アルカリ性と酸性 

レモンや酢のすっぱいのは酸性であるから、ということはご存知と思います。このように液体では、水溶液としての基本的な性格として、アルカリ性とか、酸性という性質をあらわす言葉が、常に付きまといます。
水溶液というのは、水にある物質を溶かしたり、水が主体になった液体のことをいいます。水溶液でない場合は油であったり、あるいはアルコール溶液と呼ばれたりします。水溶液がアルカリ性とか、酸性とかで分けられるのは、ちょうど、生物、特に動物などでオス、メスが話題になるようなものでしょう。オス、メスである程度、性質の類推ができるように、アルカリ性とか、酸性とかで水溶液に独特の性質が現れ、液の性状、挙動を理解することができます。
アルカリ性とか、酸性というのは健康な暮らしに大きな影響を与えております。最近は酸性の飲料は歯を溶かすから、寝る前にはきちんと歯を磨いて、口中に酸性物質を残さないようにといわれております。
アルカリ性とか、酸性というのを、「酸と塩基(えんき)」ともいいます。このアルカリ性とか、酸性の性状を表すのが水素イオンであり、その濃度によって性状が決まり、中間には中性というのがあります。
この水素イオン濃度を表す数字をペーハー(pH)、最近はピーエイチといいます。一番手身近な呼称はピーエイチ(pH)かもしれません。ここではピーエイチ(pH)を使うことにしましょう。入浴の際の風呂の湯のピーエイチ(pH)すなわち、浴槽の液体がアルカリ性か、酸性かというのは、重大な影響とはいわないにしても、少なからず身体の皮膚に影響を与えます。とくに、温泉では泉質といいますが、泉質の皮膚への影響は、無視できないものがあります。

1.浴槽の湯はどちらか
銭湯の場合、浴槽の湯はpH5.8〜8.6 と法律で定められております。これは、プールの場合も同様です。家庭の風呂は通常は水道水を使いますので、水道水のデータになりますが、水道水の厚生労働省の基準はpH5.8〜8.6ですので、浴槽の湯と同じです。この数字はややアルカリよりですが、性質は中性です。 
水道水の基準は国の定めた範囲内にありますが、実際の水道水の水質検査の結果では全般的にやや、アルカリよりになっております。たとえば、大阪市の場合はpH7.5であり、堺市のデータもpH7.5程度になっております。数字の上ではアルカリ性でも、実態はむしろ中性という方がいいでしょう。この程度のpHでは中性ですので、身体への影響はありません。
日本各地の水道水の水質は、地方自治体によってそれぞれ国の規定の範囲内で定められているので、実態では中性でも数字ではやや酸性に傾いている地方もあることと思います。
 この浴槽に入浴剤を入れたら、ということは最後にまとめておきます。

2.温泉の場合
 温泉は銭湯とは異なり、酸性、アルカリ性の湯があるのは当たり前で、さまざまです。それを選べるのが温泉の良さでもあります。温泉では湯の分析書が表示されておりますので、泉質がどういう性質かは理解しやすいでしょう。温泉の泉質を分析することは法律で定められており、その性質によって温泉を単純温泉、炭酸水素温泉,塩化温泉ほかに分けられます。なお、ここでは、pHの細かい規定はありませんが、療養泉の場合、pH8.5以上の単純温泉をとくにアルカリ性単純温泉といい、水素イオンが1kg中に1mg含まれる場合を酸性泉と名づけおります。
これらのアルカリ温泉、酸性泉に限ってpHが示されているのは温泉療養で泉質の影響がとりわけ大きいからといわれております。
これは法律そのものではありませんが、鉱泉分析法指針ではアルカリ性の温泉、酸性の温泉というのを、指針ではpHの数字で次のように分類しております。
酸性温泉:pH3未満、 弱酸性温泉:pH3以上6未満、 中性:pH6以上7.5未満
弱アルカリ性温泉:pH7.5以上8.5未満、アルカリ性温泉:pH8.5以上
アルカリ性の温泉の場合、湯にすこし入っていると身体中に泡の粒のような気泡がびっしり付着して、肌がつるつるしてくるといいます。肌がつるつる、あるいはぬるぬるしてくるというのはアルカリ性の一つの特徴です。味はやや渋く、酸性ほどはっきりした味はありません。
酸性の強い温泉は火山地帯にあって場所は限られておりますが、湯によって金属が冒されるので、設備の保全が要注意になっております。日本一の強酸性温泉は秋田県の玉川温泉です、草津温泉も酸性温泉です。
アルカリ性の温泉は酸性温泉よりも多いのですが、金属と接触しても穏やかで金属を冒すということはありません。今、問題になっているのは、アルカリ性の温泉が増加しているにかかわらず、本来のアルカリ温泉の特徴である、肌のツルツル感が減少し、肌で分からなくなってきているということです。

3.からだにどういう影響を与えるか
 酸性飲料は歯を溶かすとか、あるいはアルカリ性は皮膚の角質を軟化するので、皮膚のすべすべ感、つるつるとした感じ、あるいは洗浄作用があるとか、いいます。
 入浴では問題になりませんが、万一、強い酸性やアルカリ性が皮膚に接触すれば、皮膚に炎症を起こす場合があるので、皮膚についたときはただちに水洗いをするという処置が要ります。
酸性とか、アルカリ性というのはあくまでも、水素イオン濃度の問題であり、化学の世界ではほんの一部の現象であって、実際にはイオンそのものの動きに注目しなければなりません。人体の胃における消化、血中を移動する物質、神経細胞の信号伝達あるいは薬の効き目、安全性などは、すべてイオンの動きで働いております。
 このイオンの動きとなると、話が複雑になりますので、ここでは、酸性、アルカリ性に話題を絞ります。
ビールやワインは酸性飲料です。そのほかの食品、家庭用品、人体の体液のpHをみてみましょう。
胃液:pH 1.0、酢:pH 2.0、レモン・リンゴ:pH 2.5、みかん:pH 3.5、
醤油:pH 4.0、コーヒー:pH 5.0、牛乳:pH 6.5、血液:pH 7.5、涙:pH 8.5、
せっけん:pH 9.5
 食品の世界では、アルカリ性食品とか酸性食品とかが話題になり、血液がアルカリ性だから、アルカリ食品の摂取が望ましいという俗説があります。参考までに、この説には科学的な根拠がないと言われております。
 食品の酸性、アルカリ性というのは、そのまま水溶液の状態で測定したものではなく、食品を燃焼して、その灰の水溶液の水素イオン濃度を測定結果で決めます。だから、すっぱいものがすべて酸性食品かというとそうではありません。酸性食品には肉類、卵、米など、アルカリ性食品にはニンジン、ほうれん草、レモン、梅干などがあります。

4.アルカリ性とか、酸性というのは化学的にはどういう意味なのか
 厳密にはピーエイチ(pH)というのは水素イオン濃度の濃さを表す尺度で、アルカリ性か、酸性の度合いを示す数字です。
料理に使う塩(しお)は水に溶かすとナトリウムイオンと塩素イオンに分かれます。イオンとは原子が電気的にプラス、あるいはマイナスの状態になることで、どちらになるかは原子によってこれは決まっております。化学反応の多くは、電気的に原子がイオンの状態になってはじめて起こります。イオンには電気的に、それぞれくっつきやすい性質や、逆に反発する性質を帯びております。
 たとえば、入浴剤 延寿湯温泉を浴槽の風呂の湯に入れると、もともと中性であった湯に、成分の一つである炭酸ナトリウムの炭酸イオンというマイナスイオンとナトリウムのプラスイオンが湯の中に放出されて、炭酸イオンの優位な湯はアルカリ性になります。これが皮膚にいい影響を与えるのですが、その反面、たまたま、浴槽が大理石であると、アルカリ性の溶液は大理石の表面を冒し、光沢を奪う性質がありますので、大理石にはアルカリ性である入浴剤は禁物です。
 塩素系のカビとり剤に、酸性の洗剤を混ぜるのは危険です。実際にはトイレ掃除用の強酸タイプの洗剤との接触が危険なのですが、酸とアルカリとが反応して有毒な塩化水素ガスを発生させます。入浴剤を使って、浴槽に炭酸カルシウムの結晶がついたときには、クエン酸や、酢などの弱い酸性の洗剤の使用をお奨めしますが、このときは、念のため、塩素系のカビとり剤とは混ぜないようにします。酸とアルカリとの反応は中和反応といい、その状態は、ケースバイケースで、穏やかな場合、あるいは激しい場合もあります。
 ピーエイチ(pH)というのは水素イオン濃度であるといいました。この濃度の測定方法
には、試験紙による方法はじめ指示薬、測定器によるなどいろいろあります。酸性・アルカリ性の最も簡単な判定に使われのはリトマス試験紙です。青い試験紙が、赤くなると酸性で、アルカリ性は赤い試験紙が青くなります。
 アルカリ性、酸性では強い、弱いということがよく出てきます。強酸、弱酸などですが、
この強い弱いは、水素イオン濃度で決まりますが、強、弱は一般には慣習で使われます。家庭用品品質表示法では、次のように段階を定めており、これらの用語は市販の家庭用
洗剤などに表示されています。
pH 3未満:酸性、 pH 3以上6未満:弱酸性、 pH 6以上8以下:中性、
pH 8以上11未満:弱アルカリ性、 pH 11以上:アルカリ性
 化学の世界でイオンの動きを最初に利用したのは電池で、1800年ごろイタリアの科学者ボルタが発見しております。電池はその後、どんどん発展しておりますが、基本原理は変わりません。いまなお、二酸化マンガン電池やリチウム電池、あるいは自動車に使われているバッテリーなど、それぞれイオンの働きが利用されております。

5.入浴剤をいれたら
 さる11月27日、朝日新聞は硫黄含有の入浴剤(610ハップ=ムトウハップ)が硫化水素自殺に使われるので、薬局での販売自粛が響いて売上げが激減した結果、メーカーは販売中止を決定したと報じています。この入浴剤は1927年に発売され、唯一の医薬品の入浴剤でありました。それと、注目すべきことは強い酸性であり、金属を冒すので要注意という製剤でもあり、入浴剤で強い酸性と言うのは珍しいことでした。
 入浴剤は通常はアルカリ性です。もちろん、延寿湯温泉も浴槽にいれるとアルカリ性で、pHは10ぐらいです。これは化粧石鹸で洗顔するときの水溶液とほぼ同じです。
温泉のところで取り上げましたように、アルカリ性というのは洗浄効果がありますし、皮膚からの吸収を助ける役割もあります。
入浴剤の残り液を洗濯用に使うことは、アルカリ性でも洗剤の洗浄力には影響与えないので、通常は差し支えないのですが、入浴剤の色が衣類に移ることはありえます。これは要注意で、十分、水道水ですすぐことが必要です。延寿湯温泉の場合は、生薬をそのまま使っておりますので、残り湯の利用は着色の心配があり、お奨めできません。
 浴槽や風呂釜への影響は、延寿湯温泉も含めて、アルカリ性の入浴剤であれば、通常は金属を冒すという問題は発生しません。逆にアルカリ性は金属の洗浄に役立ちます。
 強酸性や強アルカリ性ですと、金属が冒される以前に、人体に影響が出てきます。そういうことは、よほどの敏感な皮膚でない限り問題はありません。入浴剤は化粧石鹸と同程度のpHですので、化粧石鹸が使えるのであれば、アルカリ性の影響は心配なしとみていいでしょう。



 
<参考文献>
水谷仁編集:イオンと元素、ニュートン別冊、株式会社ニュートンプレス、東京(2007)
石川理夫:温泉の法則、集英社、東京(2003)
浴用剤工業会:入浴剤ハンドブック、東京(1993)
朝日新聞:2008年11月27日号(2008年)

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【延寿通信】 2008年10月31日(金)

延寿通信 第63号 2008年11月

NHK教育TVで放映された銭湯史のあらまし

NHKで銭湯の歴史「あ〜 極楽の銭湯史」 教育TVで10月に放映 

銭湯とは庶民の娯楽施設であった、というのが、この銭湯史の訴えるところです。歴史ですので過去形にしましたが、現在もなお、銭湯は娯楽施設か、といわれたら、大部分の庶民は、それを否定されるでしょう。もちろん、銭湯は疲れを癒すありがたい施設には違いないのですが、むしろ、娯楽の場というか、リクレーションの場に傾いていっているのは、一部の温泉であり、スーパー銭湯です。入浴というものは銭湯はともかく、自宅であっても、どこの場で行われようとも、暮らしにおける楽しみであることには間違いなく、各自がいろいろのスタイルで入浴を楽しんでおられます。
風呂の歴史、銭湯の歴史そして江戸時代の風呂の話などは本欄では、たびたび取り上げてきました。またまた、同じような内容ですが、NHKにて銭湯史が取り上げられましたので、NHKさんのお話も聞いてみてください。
今回は、NHKで紹介された銭湯の歴史のさわりの部分をご紹介いたしましょう。
この番組は、10月に4回にわたり教育テレビ「NHK知るを楽しむ----歴史に好奇心」というシリーズで放映されました。語り手は庶民文化研究家の町田忍さんです。
 
1.風呂の始まりは仏教から
「日本人とって、『風呂に入る』という行為は、時には医療行為であり、同時に宗教的な行為であり、何より生きながらにして極楽を感じる楽しみであった」これが、語り手 町田さんの銭湯史のテキスト、冒頭の一節です。
銭湯を語るには、まずわが国の風呂の発生というか、日常の行事として、どこでどのように沐浴がおこなわれ始めたかを、論じなければなりません。町田さんは、これを仏教伝来以前からわが国で行われていた宗教行事の禊(みそぎ)に結び付けております。
禊というのは、ご存知のように、今日でも神事などで行われております。禊は罪や穢れを払うために、水を浴びて身を清めることをいうのですが、神道行事だけでなく、普段の暮らしの場でも、斎戒沐浴と言って、ときたま身を清める行為の見られることがあります。
現存する東大寺の大湯屋、鉄湯船は1197年の建造で、常に風呂の歴史には登場します。奈良時代の昔ですが、宗教行事として入浴にかかわっていた東大寺の僧侶たちは、庶民に風呂、入浴の文化を広めました。
寺院の風呂だけでなく、各地の温泉も始めは宗教との結びつきがあったようです。
さらに、入浴と治療とのつながりは、奈良時代、光明皇后の法華寺施浴の話が出てきます。宗教、医療、風呂というのは、もともと深いつながりがありますので、このあたりの話は理解しやすいのではないかと思います。

2.江戸で開花-------銭湯の普及
 宗教行事であった施浴という入浴が、寺院から独立して庶民相手の商売として発展したのが銭湯であり、それは江戸時代のことで、初めは京都で、そして大発展したのが江戸であるというのが、語りのストーリィです。
 東京の日本銀行本店前、銭瓶橋跡には、現在、銭湯発祥の地という案内標識が立っており、それは天正19年(1591年)、伊勢出身の与市によるといいます。
 番組では、江戸時代の銭湯の建物、風呂の構造が、模型で詳しく紹介されました。特に、銭湯では石榴口(ざくろ)という、湯の冷めるのを防止する構造が実物模型で示され、参考になりました。石榴口というのは江戸時代銭湯の構造上の特徴で、語源は、ザクロという酸性の果実で金属の鏡を磨いたためで、「かがみいる」という言葉からといいます。
 慶長19年(1614年)のころ、江戸には約500軒の銭湯がありました。江戸にはじめて銭湯ができて、わずか25年たっているだけですので、早い普及には驚きます。
江戸時代の銭湯では、入浴のマナーが結構行き渡っていたようです。裸の付き合いでは、皆、平等ということで、上下の差別はありません、それだけに余計にお互いに気を遣い、マナーが浸透したのでしょう。しかし、石鹸代わりのヌカや、塗り薬などが洗い場に散乱して木製の床はぬるぬるして歩きにくく、暗いうえに衛生環境も良くなかったといいます。
江戸時代の風呂は熱めであり、その習慣は今日も続いており、日本の現在の銭湯の平均温度は40度ですが、東京は42度であると町田さんは調査結果を述べております。江戸では、結構肉体労働の人が銭湯を愛用していたので、この人たちは筋肉の疲れをとるのに、比較的熱い湯を好んだからだという話が出てきます。
江戸時代には、銭湯の2階は、娯楽の場所として道具が揃っており、飲んだり食ったりもでき、サービスする女性もここにはいたため、風呂の後の楽しみは尽きなかったようです。ただし、この風潮の盛んなのは江戸時代限りで、明治になって衰退します。
 
3.文明開化と銭湯-------明治維新のころ
 1881年(明治14年)には東京の銭湯は1021軒あり、ますます繁盛します。
銭湯の建物は独特で、宮造りの豪華なつくりで有名であり、現在も少なからず残っており、テレビ放送ということもあって、建物の紹介は見ものでした。珍しい建物や、凝った内装などが次々と出てくるのはこの番組の特徴の一つでした。
 明治になってから、銭湯では風紀上の問題、衛生面が重視され、江戸時代とは大きく転換します。そこに豪華な建物が加わり、明治時代なりに大きく発展します。宮造りというのは東京独特のスタイルだそうです。何ゆえ、銭湯の建物が宮造りの豪華な雰囲気にあるのか、それは理解しがたいところでしたが、一説には、この傾向は関東大震災以降で、震災で沈んだ市民の気持ちを守り立てるためといいます。
この時期、東京では銭湯の管理は警視庁が受け持ち、第2次世界大戦までは銭湯の取り締まりは警察が担当しました。こういう仕事を警察が担当するというのは明治では珍しくなく、医薬品の営業、薬局の管理、市民の衛生も、かつては警察が行っておりました。 
警察の取り締まりは厳しく、2階の娯楽施設は、この時期、風紀上の問題で禁止され、また、石榴口、混浴の禁止なども相次いで禁止令が出ました。衛生上、風紀上の取り締まりが行われる一方、このころ、銭湯の構造近代化はすすみ、「改良風呂」とか、「温泉式風呂」も登場しました。明るく、床も滑らない材料がつかわれ、衛生的だけでなく、客への配慮、サービスが向上しました。
銭湯2階の娯楽場の様子は次第に自粛されてはゆくものの、かなり広く、梯子で2階に上がると、2階番として女性が高い位置におり、茶酌女という女性が数名いて、男性客の相手をしておりました。梅か牡丹か月花のような色っぽい美しい女性ばかりであったといいます。この時期を過ぎても、まだ2階は使われて、一部には残っていました。
 当時の銭湯の湯槽は、縦横3m、深さ1.2mで、十分肩まで浸かり、流し場は4mx6mで、
男女は別々になっていました。江戸時代の混浴は明治維新で厳禁になりましたが、全国一律ではなく、秋田県は1900年に混浴禁止令が出ているので、日本中に混浴禁止が徹底するまでに30年かかっております。
 
4.昭和になって-------銭湯の完成
 銭湯の構造は大体、明治の時期に出来上がりますが、都会人の出現は銭湯を、合理的な、衛生的な浴場に生まれ変えさせてゆきます。ガラスやタイルもふんだんに使われ、モダンな洋風の内部、構造が、主力になっては来るものの、一方では、豪華な浴室や千人風呂、ローマ風呂など工夫を凝らした大規模な施設も現れます。
 特に、この時期、強調されているのは浴槽付近のペンキ絵です。例の富士山の絵が紹介されます。もう一つ、江戸時代からの引き継ぎで広告の張り出しがあります。銭湯の広告は江戸時代から華々しく、薬を始め化粧品あるいは寄席など、庶民へのPRはところ狭ましと広告が並びました。この宣伝の場としての銭湯は、昭和になっても行われました。たとえば、洗い桶を使った薬、ケロリンの広告は長く続きました。
楽しみの場という伝統は生かされますが、次第に娯楽性は薄らいでゆきます。建物を豪華にして客を呼び、目を楽しませるということには銭湯の経営者は熱心で、昭和になっても、天井の高い脱衣場、富士山のペンキ絵など構造・内装にも華々しい展開がありました。   
京都の銭湯では輸入タイルも使われ、すばらしいデザイン・色彩は、見ものでした。輸入タイルを貼りめぐらせた豪華な浴場は、今は喫茶店になっているようです。
 脱衣場の施設というか、客へのサービス付属物では、以前から体重計はどこにでも見られましたが、昭和30年代になると、マッサージ器を置いたり、冷蔵庫が設置されたりで、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳が銭湯の人気商品になりました。
 番台というのは、銭湯の重要な場所・役目であり、江戸時代から連綿と今日まで続いております。銭湯に入ってくる客に背を向けているので、外国人には奇妙な存在だそうですが、ご承知のように番台は、銭湯のカナメであって、入浴料金を受け取り、客の安全管理、荷物の見張りなど、大事な仕事を受け持っております。経営者あるいは、身内の方がこの役目を担う場合が多いようです。
 銭湯の入浴料金について、番組のテキストには江戸時代から今日までの詳細な表が出ています。その中から、かいつまんで列記します。この数字は東京都の場合で、成人1回の入浴料金です。この数字で見ると、今の料金は明治初めの3万倍ということになります。物価の一般的な傾向としては、比率では安くはないといえます。
 
1870年 1銭5厘
1925年 5銭
1945年 20銭
1960年 17円
1980年 155円
2008年 450円

 この番組の銭湯は東京中心でしたが、テキストには大阪、京都の銭湯のことが若干出てきます。とくに大阪の銭湯は客へのサービスが良く、泡風呂や薬風呂などの導入が早かったという記事が出てきます。薬風呂については、江戸時代の銭湯経営者は関心大でしたが、本番組では深くは触れていません。そういうわけで今回は入浴剤 延寿湯温泉の出番がありませんでした。
 
<参考文献>
町田 忍:NHK 知るを楽しむ 歴史に好奇心「あ〜極楽の銭湯史」、日本放送出版協会(2008年)

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